走れメルス

野田地図の「走れメルス」を観て参りました。
遊眠社の初期の作品だとは思っていたのですが
本当に初期だった。
見てみたら第2回公演からやっておられました。

言葉遊びの応酬。
そこまで初期の作品は観たことが無かったのですが、
最近のに比べると、
言葉遊びでイメージが絡んで繋がっていく感じが
ちと弱いような気が致しました。
でも、そのぶん、そこに比重を置いている
情熱のようなものは感じたかも…。

いえ…勝手に感じてるだけなので
分かりませんが(爆)

作品のストーリーとかテーマとかよりも、
演劇の方法論、見せ方、在り方みたいな所への
意識が感じられた戯曲でした。これも勝手に感じてますけども。

野田戯曲の「言葉遊び」「あらすじの書けない物語」
「とにかく走りまくる動き」「二つの世界の同時進行」
…といった要素は、今でこそ、当り前のようにあるし
違和感もありませんが、
何もないところから、まず、そういった要素を作って、
見せようとするチカラのようなものがあった。

二つの世界の区分にしたって
「こちら岸」「向こう岸」という描き方で、
なんかその辺が初期っぽいとか感じて…しまいました、よ;

「愛しい」と書いて「かなしい」と読むのは
なんか他でも見掛けたような。好きです。

でもあんたはその炎の中で愛しさすら感じないのね

言葉の美しさは凄みがあります。
詩的な表現も多分にありました。

言葉を「声」にして「見せる」ことを、
これだけ美しく切なく出来るのは本当に凄いと思う。
役者さんももちろん凄いのですが。
言葉に対してここまで意識的だと本当に凄い…。かっこいいなあ。。

こうして新旧織りまぜて観ていると、
色々な作品に繰り返しあって、繋がってくるイメージが所々にあります。
そういうのが、野田さんの中にある世界なのかなあ、とか思いつつ。

大竹しのぶさんの「売り言葉」と、
野田さんの耳男と、「半神」がもう一回観たい…(^^;